隣人を非難することは今にはじまったことではなく、古今東西 老若男女にあることと思います。
最近はSNSでの誹謗中傷の苛烈が話題となっています。
三浦春馬さんが自死されました。詳しくは分かりませんが、友人や自身へのSNSでの誹謗中傷に悩んでのことであったとも伝えられています。
木村 花さんが亡くなったこともまたSNSでの誹謗中傷の影響が大きいと報道されています。
お二人の死は、社会に対する抗議の死であることと理解したいところです。
私は洗礼を受けたことはありませんが、時々聖書の言葉を思い出して振り返ることをします。クルアーンはまだ読んだことはありませんが、易経、仏典、聖書と生き方や物事の考え方のヒントになる書物は沢山あります。
『罪を犯したことをない者のみ石礫を投げよ』
姦淫の罪によって、石打の刑に処せられる女性(マグダラのマリア)…
石礫を持って躍起になっている群衆とその宗教指導者達に対して、
キリストが言ったのがこの言葉。
皆、大なり小なり何かしらの心当たりがあったのでしょう。
高齢の人から各々、石礫をほってその場から去ってゆき、裁こうとする人は誰もいなくなってしまいました…。残されたのは、その女性とキリストのみとなったそうです。
私は、日ごろは社会福祉の現場で仕事をしています。
ソーシャルワーカーの仕事の基本姿勢として、
バイスティックの七つの原則というものがあり、
社会福祉を学ぶ人ならば必ず知っているものです。
その中に、非審判的な態度があります(新訳版では、クライアントを一方的に非難しない となっています)。
あえてこの原則が掲げられているのは、社会福祉の臨床場面で、援助者がなにかと被援助者を非難しがちだからですね(汗)
臨床心理の分野においても、カール・ロジャース博士の面接の記録(グロリアと3人のセラピスト)などをみると、ロジャーズ博士は、クライアントを裁くことをしていません。
クライアントの語りを大切にして、受容し共感に努めています。
クライアントも自らに抗うことをせずに語りを進めています。
ロジャーズ博士の面接法は古典ではありますが、各技法の援助の基本姿勢となっています。
最近は、正義中毒といった言葉もあるそうですが、
裁きは心理的な安全性を、延いては命も脅かすので気を付けたいですね。
寛容でありたいものです。
GOMA
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